戦後初の国産民間輸送機として産業史に残る「YS11」の量産初号機を組み立て直す作業が茨城県筑西市で進められている。作業にあたるのは、平均年齢70歳の現役を退いた30人の元整備士たち。来春の公開に向け、リタイアした機体を再び輝かせようと汗を流している。
- YS11
- 純国産のプロペラ機。第2次大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に航空機の製造を7年間禁止された日本が遅れを取り戻そうと国を挙げて取り組んだ。戦中に戦闘機を手がけた著名な設計者らが関わり、試作機2機を含め182機が製造され、旅客機として高度成長期を支えた。量産初号機は1965年に旧運輸省に納入され、各地の管制施設の点検などにあたる飛行検査機として、98年まで活躍。日本機械学会の「機械遺産」、日本航空協会の「重要航空遺産」に認定されている。
筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」に新設された建屋に9月中旬、元整備士たち16人が集まった。この日の作業は尾翼と垂直尾翼の取り付け。重機を使い、ワイヤで長さ12メートル、重さ360キロの尾翼をつり上げる。76歳の元整備士、井坂富夫さんも腰に安全帯を付け、高さ4メートルの尾翼に乗り移った。
井坂さんら多くの元整備士は首都圏在住の65~79歳。建屋そばの宿泊施設やホテルに泊まり込む。1日6人前後でシフトを組み、6時間ほど作業。1人あたり週2、3日、月計60時間ほど、有償で働く。
機体は元々、国立科学博物館(東京・上野)が所有し、羽田空港の格納庫に保管されていた。だが、維持管理に年間約1千万円かかり、移設先を探していたところ、旧型の新幹線車両などを展示するヒロサワが名乗りを上げた。
機体の分解・組み立てにかかる約8千万円は科博側が、展示建物の建設費4億5千万円や機体の維持管理費はヒロサワ側が負担する。昨年9月に羽田空港で解体作業を始め、今年3月に筑西市へ移送。新型コロナウイルスの影響で、組み立て開始は6月にずれ込んだ。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル